SSTF通信

Written by printftan since 2014, and to be continued...

黄昏の指輪(旧題:カラスは飛んでいく)

カラスは飛んでいく
少しだけ、つらい思い出を書いてみたい。
古い話になるが、私が昔、小学生だった頃の母校の校舎が、眼前で取り壊されてゆき、新しい校舎が建った話。

思い出は、たくさんあった。

その校舎は、今はもうない。

次の世代が、心待ちにしていた、新校舎。

同級生のみんなは、今、どこでどうしているのだろうか。

地縁は、続く。血縁も、続く。また、さまざまなひとたちとの出会いと別れ。
私は、私と再会することをどこかで願ってくれているひとたちとの、わずかばかりのたずなを、頼りに、生きている。

祖父は、大正生まれ。私が物心ついたころには、連合会長だった。私が中学生だった頃、他界した。
カブ号の前に赤ん坊だった私用の座席を作り、走り回っていたそうだ。
そうだ、というのは、私自身が幼少だったためか記憶にない。
可愛がってもらっていたそうだ。そうだ、というのも、やはり私に記憶がない。
数年前、十七回忌で親族が集まったとき、私は、祖父の次男の長男という立場を、改めて感じたが、
現在の地縁により、重責への心労は、いくらか和らいでいる。

父の世代がまだまだ気を吐いてくれているため、今、私自身は、なんとなく頼りない気持ちを感じながらも、細々と暮らしている。

重責から逃れがたく、叱咤激励を受け続けてきた私は、大学生の頃、倒れた。
しかし、不思議なことに、今、私はまだ命をつなげている。

なぜか。わからない。

どうやって生き延びたのか、自分でもわからない。

しかし、絶望のどん底にあった私の心境は、今では、ずいぶんと楽になったものである。
祖母の喪中のため、同期の結婚式に出席できなかった。この事情は、結局のところ、ここに書くのが初めての吐露である。

現在、母方の祖母が健在で、やはり女性はたくましいなぁとつくづく思う今日この頃でありました。。。
従兄弟にお子さんが産まれたらしい。うちにも遊びに来てくれたそうだが、その日、私は仕事で不在だったため、顔を合わせていないという残念な話もあったりする。

家庭環境というのは、実に複雑な縁の集まりのような気もしているが、集まりというだけではなく、また、広がりも持っているという点が、私自身が生き延びてこられたひとつのポイントではないか、と、推察するところです。

つらい思い出を書くつもりだったのだが、私自身の本性であるのんびり、ゆったり、ぼんやり感からか、結構楽観的な文章になりました。

「人間にはのんびり派とかりかり派がいて、のんびり派がかりかりしてポカをやらかすのとちゃいますか」
といったような文言を読んだ記憶がある。
(原文と一致していないかも。著書名も記憶にない。著者は故・森毅氏。)

町内に見知った顔が少なくなったが、幸い職もあり、地縁血縁を頼りに、細々と暮らしとります。

修猷時代、東京筑波研修で、液体窒素の冷気を実際に眼前で見た私。
どこかでボタンを掛け違えたか、今は、なぜか知らないけど、サービスパーソンをしています。

もう一冊、蔵書から、私のお気に入りの文言を紹介します。
「上を見ていると、下が見えない。下を見ていると、前が見えない」
私の傾向として、上を向き続けるような言動が多かったのです。

先輩に頂いた時計。
「電池は切れるが、グリーの友情は一生続く」

私が生き延びてこられたのは、やはり、ひととの縁だと思う次第です。
ふっと、緊張をほぐす。脱力。言い換えると、リラックス。

年下の上司は、年上の先輩である私と、ずいぶん違った人生を歩んできていたみたいですが、このひとがいなかったら、今の私はないというほど、貴重な存在です。
音楽性が合わなかったため、どうしてもこのいたずらっ気の強かったこのかたを好きになれなかったのですが、私は、このかたのサポーターになろうと思ったのがきっかけで、ちょっとずつ働きかけていった(いや、働きかけられたのかな?)ところ、なんとなく、強みも弱みも分かち合えるようになっているという、不思議な話。
一番難しい役回りを精一杯こなしているこのかたを、私もまあ、ほとんど気休めにしかならない程度の働きで、適当かつ適当な(別の先輩の言葉から引用)応援をしたいと思っています。(あえて誤解を招く表現を使ってみます。)

なんか知らんけど、書き始めたら、結構書けるものですなぁ…。
表現できる喜びを知ってしまった以上、戻れないかも。
貴重な経験を積ませてくれた、みんなに感謝。

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