原点に立ち返る(ときどき思うこと・1,890文字程度)

 仕事に対して、やりがいを感じるとき。少し自分を見つめてみたい。

 こういう文章が適当かわからないが、うろ覚えながら書いてみる。

 人間関係を築くことだけで終わる人生でいいのか。やはり、人生の目的は何かを成すことではないか。

 そういうことになります。

 実際のところ、PCを長く使ってきてみて思うことがあります。
「テクノ依存症」という言葉が存在していた時代をとっくに過ぎ去ったものの、今では「機械をうまく扱うことができないかもしれない」と「機械を使わないとコミュニケーションの取り方がわからない」が相乗効果で急速に広がっているように思うのです。

 ひととのつながりかたを、無味乾燥なものにしてしまったのは、なぜかしら。

 うーん。なんででしょうか。なぜかなぁ。答えを探してみたけれど、これは考えていきたい命題だと思いました。

 私の持論ですが、

 仲がいいだけではうまくいかないけど、仲が良くなかったら成り立たない

 という、論です。これは、あくまでも持論です。当然、これは正解ではないです。私の持論、独理です。

 人付き合いのしかたに正解があるのだろうか。まず、前提として、自分も間違っているかもしれない、ということを考えておくのは基本です。
 人間は、ミスをしながら学んでいくものです。うまくいかないこともある、むしろ、うまくいくことのほうが少ない、はじめはだれでも1からのスタートです。

 説教ぽい文章になって申し訳ないのですが、とにかく、今、私がタイピングをとてもしたい心情にあるので、サンドボックス代わりにここにブログ記事を書いています。論旨不鮮明のまま書いています。手なりで書いているのですが、それなりに長々くなっています。

 これも書籍からの引用ですが、

 短文が1,500文字、長文が15,000文字、書籍が150,000文字

 という分類を適用すると、長々書いてるようで、まだまだ短文に届かない文字数です。(ここまでで850文字程度)
 読み手はどれくらいの速さで読むのかわかりません。ただ、書いている時間よりもかなり短い時間で読めることは、経験上知っています。

 誰に向けて書いているのか。

 この問いにこたえるのは容易です。自分自身が考えていることを、整理するために、自分に向けて書いているようです。たまたま書いていることがWebに載るだけの話です。

 書くこととは、ゆっくり話すことと同じである。
 書けないことは、話せない。

 と、私の知識の中から引用します。

 ところで、ここに書いていることは、私がふだん話している内容とは異なります。
 どちらかと言うと、ふだん話題にできないこと、話したりていないことを、書いているつもりです。
 基本的にはフィクションであることを意識して書いています。

 残念ながら、私のタイピング速度は、私の思考の速度より遅いので、ここに書いている文章は少し考えすぎな感が漂う文章となっています。どちらかと言うと、文章の構成を考えていません。なので、essayなのです。エッセイ、随筆です。役に立たないほうがいいと思う文章を書いているつもりですが、もしかしたら、役に立ってしまう可能性があります。それだけが懸念されます。

 最後に、この記事は、原点に立ち返る、つまり、一部のコアなファンにしか受けないブログであり、Webライフの一服の清涼剤でありたいと思う風紀委員長の凡打集なのです。ここに書いている文章は基本的に凡打ばかりであり、ここで凡打を放ち続けることを私は、気分転換法のひとつと、けっこう思っています。

 なので、文法が間違っているとか、てにをはがあまりうまく使えていないとか、係り受けがちょっとおかしいぞ、とか思われたかたは、ぜひ、私のブログの読者になられてください。いっぱいいっぱいなときに、考えて考えて考え抜いた結果、凡打を放っています。うまくいくときは、案外、素っ気ないもので、「えっ、こんだけでうまくいくの?」というくらい簡単にです。正解というのは、そういう素っ気ないものです。適度に力を抜くと、日ごろの練習で身についた成果を発揮できます。

 ちなみに、このブログ、300記事を越えました。書きっぱなし放題書いています。読み手の負担はたいへんなものだと思われます。なので、まず、読まれないであろうと思われます。この点、大事です。

「まず読まれないだろう・・・ふっふっふ」

 と思いながら書くと、わりと書けるものです。(1,890文字程度)

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