或る日、僕は

或る日、僕はコーヒーを飲んでいるかもしれない。Since 2014.

持論に反論してみたところこんな感じです。

2017年7月19日(水)午後04時41分
科学的アプローチは明らかに行き詰っている。
そこで、改めて見直したいのは、「亀の甲より年の功」である。
また、自然科学で解決できない課題というものは確実に存在している認識は、忘れてはならないと思われる。

科学は万能ではない。
すぐに役に立つ知識ではない。
学問とはそういうものである。

また、心がけだけでは解決できないような課題も存在している。
専門家の意見に対して、素人判断のほうが合っている場合"も"ある。
個々人の素質にもよるが、暮らしの中で起きるさまざまな出来事に対して、どのように対処するか。

目的を決めて、目標を定めて、そこをゴールとして、達成計画を立てるという手法がある。
これは、効率を追求する合理的な手法ではあるが、ひとは、疲れるのである。
疲れ方にもさまざまある。

全力で一つの物事に打ち込むことは、社会的には高い評価を得られるかもしれない。
ただ、社会的評価を得ることを目的とすると、どうしても無理が出る。

たまには無目的な活動、余暇を過ごすことも必要ではないかと問いたい。
だって、周囲の評価や思惑を気にしている時間は、窮屈ではないかと思うのである。

2017年7月19日(水)午後04時57分

反論したい。自分自身で書いた文章に対して、極端な反論を行う。
科学的アプローチは万能である。あらゆる事象は科学によって解明することができる。
知識というものは、課題を解決することができるものである。
ひとの思惑を超えた事象に対して、必ず解決法はあり、専門家の意見は、素人判断よりも的確である。

目的を決め、目標を定めて、達成計画を立てるという手法は非常に効果的であり、合理的である。
ひとの疲れ方は、科学において解明されており、どのような方法で疲労を回復させることができるかは、明らかである。

全力で一つの物事に打ち込むことは、とても価値のあることであり、尊重されなければならない。
出世すること、世に出て信を問われることは、どのような価値観よりも、最優先事項として常に自分自身に課しておく必要がある。

余暇を過ごす暇があったら、その時間を休暇を取らなくてもかまわないようなスケジュールを立てることで回避できる。

極論ではあるが、この考え方は、明らかに行き詰っている。

2017年7月19日(水)午後05時07分

持論に反論してみたところこんな感じです。硬めに書くと、私らしい文章になりました。
どちらも反証がありますが、「私自身も正しいとは限らない」という価値観をもって活動してます。
反論が偏っていることが、お分かりいただけるかと思います。
また、持論も正鵠を得ていないことも明らかです。

こういう文章を書いたのはなぜかと申しますと、時刻を見ていただきたい。
私の筆記速度が類推できるかと思われます。

2017年7月19日(水)午後05時17分

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