或る日、僕は

「ほぅ…お客さんか、珍しいな。ここはダンジョンだ。わたしはここでコーヒー飲んでるから、ゆっくり見て行ってくれ。幸運を祈る。」Since 2014.

ブログで書いている文章量から

 ゲームから入ったクチとしては、PCは遊び道具だと、ずっと思ってきた。ところがどっこい、我が身を振り返ってみると、1日平均4,000文字は書いてる。これはもはや遊びではない。PCというものをどのような位置づけにするか、少し考える必要が生じたと思う。

 居間兼寝室兼書斎兼スタジオの狭い自室では、TVが配置されていない。TVは、ずいぶん昔に処分したっきり、買えていないのです。この点は、ある意味ではどうでもいい話です。今回は、書きながら校正しないで、そのまま、書いただけの文章量を、そのまんま、公開してみようかと案じました。普段は、書きながらずいぶん削っていますが。せっかくだし、思いのまま、書いてみたい。なお、後日読み返してみたらわかるように、本日、私は風邪気味で病欠している点、特筆しておく。なお、土曜日が勤務日なのは、なぜなのかは定かではない。定かではないことを書いてはならないのであれば、私の書きたいことを書くというこのブログの方針から逸れる。

 意味のあることを書こうと思うと、それなりに工夫するものなのだが、実に工夫を凝らした文章というのは、非常に堅苦しく、また、慇懃でもある。礼節ともに、紳士であるためには、そういった硬い文章を書くことにも、慣れることも必要かもしれないが、私が書いている文章は、どちらかと言えば、理解に届くことをあまり期待していない文章に分類される。快刀乱麻を断つ文章を書くことは、それなりに意味もあるかもしれないが、会話量とは別に、私が書いている文章は、事実上の発言ではない。このブログに登場する人物、組織名、団体名、商品名などは、すべて虚構であり、フィクションである。ただし、ノンフィクションに近いことも書くのだが、ノンフィクションのように思える事実誤認を招きかねない危険性もある。なぜなら、私の文章力の中では、フィクションとノンフィクションを明確に区別して書くことができないからである。昔、本を出したときは、ジャンル分けがノンフィクション/ドキュメンタリーとなっていた。つまり、このことから、私は実はフィクションを書くことが難しいのではないかと、ふと思うのでありました。

 というわけで、ゲームから入ったクチではありますが、現在、私がPCというものをどのようにとらえているのかと、率直に述べると、「PCとは、筆記用具である」という認識である。実際に、PCに向かっている時間帯の中で、最も多くの割合を占めているタッチタイピング、いわゆる筆記は、私にとっては長年の修練の成果で獲得した技能であり、また、教科書的な対応では解決できない課題に対して、まったくもって無力な技能ではあるが、ひとまず、筆記中には他の雑念を振り払うことができるため、私自身の精神衛生上、なくてはならない時間帯なのである。

 このあたりで、だんだん書くのが煩わしくなってくるのが普段の私である。なんでこんなに丁寧に書いてやらなあかんのやと、言いたくもなるが、これは、好き嫌いがはっきりしない私にとっては、苦渋の決断であり、いつも、記事の出来には満足しない状態、いわゆる、その後の議論のたたき台として公開していることが由来している。まさしく、「PCとは、遊び道具である」という認識から出発した私のPCライフであったが、ここ数日、どうやら世間の認識と異なっていることに、いまさらながら驚かされている。なぜなら、文章を書くということについて、プロットがない文章を書いているためであるので、私の書く文章は毎回アドリブであり、どちらかと言えば、成果物の良しあしはともかく、文章を書き終わった~というちょっとしたうれしい感じを味わいたいがために書いているからである。この点、私が書いた文章に対して、「こういう人もいるよね」という対応が一般的であり、私は、ちょっとした寂しさも味わうのだが、まあ、これはこれで遊びで書いている文章だから気にしないでおこうと思っていた。

 ところが、この認識を改める必要が生まれている。気にしないでいればいいのかもしれないが、とかくも字面を見て、短絡的な読解に至ることの多い文章だけという情報量である。わざわざ長々書いた文章の中から、この文節がなかったら意図が変わるかどうか、厳選して、要らない文節をいつも削っていた。この方針を、変更する。「ブログって損な気」がしてきたからである。書き手にとっては、最も読者が必要とする情報が書かれていないことには、あまり頓着しないものだが、役に立つ情報、豆知識、豆の知識など、なにかしら情報を求めて読みに来ているのかもしれない。ふとそう思ったのである。つまり、文章の内容だけ読んで、結果的に相手の理解に届かない文章を書くと、なぜかしら、きちんとした論旨が通っていないという、謎の論理的な反発を受ける。つまり、ロジカルシンキングをしろという圧迫的な感情論に陥ってしまうことを、発見したのだ。

 閑話休題。

 一息入れたら、続きを書くつもりではある。ただし、結論を述べないという点においては、今までと方針はあまり変わりありません。PCは遊び道具であるという認識は、もう時代遅れになってしまったのだろうかと、ふと、寂寥の中に「むべ山風を嵐といふらむ」である。

 ところで、これを校正しないで公表する文章ではないと思うのですが、今回、このブログを運営してきた中で初めて、校正をしないで公表してみたいと思いました。書きながら、非常に気分がよろしくないことに気が付き、やはりこれは病身を押して書いているからではないかと思った次第です。

 読了いただき、ありがとうございます。待て次号!

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