或る日、僕は

「ほぅ…お客さんか、珍しいな。ここはダンジョンだ。わたしはここでコーヒー飲んでるから、ゆっくり見て行ってくれ。幸運を祈る。」Since 2014.

月日は流れるもので

 おつかれです、淡です。
 仕事を終え、日記を書いたのち、ここに書いておきたいことをなんか探ってみた。
 今日の仕事中に気が付いたことを書いてみる。

 私、今の職場に入ったときは、職場内で最年少だったのだが、月日は流れるもので、いつの間にか、私より若年の同僚が増えてきていることに気が付いた。そう、「いつの間にか月日は流れるものなのだなぁ」と、改めて感じ入った次第でありました…。感慨無量。あのとき絶望しなくて本当によかったと、しみじみ思います。

「一つのドアが閉まると、新しいドアが開く」
「捨てる神あれば拾う神あり」

 人生の荒波にさらされてきた先人の言葉を引くまでもなく、今この現代という激動の時代を生きている私たちにとって、助けを求める声こそあるが、私も人並みに、いや、人並み以上に苦労を重ねてきたものなのだろう。そして、先人たちの歩んできた道筋の流れをくむ者として、今できることを精いっぱい一日一日、形にしようと、がむしゃらだった若年時代をふと思い出すのでありました。

 今の私にある余裕感は、振り返ってみれば、若年時に買ってでもした苦労の賜物のようにも思えるのです。ただ、苦労しないとうまくいかないわけでもなく、私がたまたま苦労を苦労とも思わない性分だったというのは、ラッキーチャッキーでした。

 というわけで、案外、ゲン担ぎにはこだわっている私。勝利の方程式こそ持っていませんが、私の旋法を聴いたことのある方ならお分かりの通り、「勝ちもしないが負けもしない」ことを自負しています。

 「準備万端、あとは運を天に任せるのみ。」
 ここまで思い詰めるほど、シリアスでもない私。

 私のお気に入りの言葉を書籍から引用します。

「精神療法は遊びである。遊びのない精神療法は本質を欠いている。」
「要するに、あまりストレートに、シャリアスに考えないほうがよい」

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