こんにちは、淡です。本日曇天ながら、涼しく過ごしやすい一日でした。
さて。今回の表題は、「企画と本質」です。
私の発言が誤読される可能性を忘れていた
会話において、一意に通じるような表現を心がけているつもりでした。特に、1対1での会話では、そう思っていたのでしたが…。
会話は相手があって成り立つものです。私が述べる発言は、一般論ではありません。相手の理解に届かなければ、意味がない。
ここに、落とし穴がありました。相手の人に対して話している内容。それを、一般論と誤解されるとまずいのです。
時と場合において正しい発言が普遍の法則ではありえないことは、私にとって、前提としてまず有り、そのつもりで話していたのでしたが、これが誤解のもとになってしまったのでした。
企画案がポシャるとき
企画案は、案です。企画を練るとき、さまざまな試みを行うなかで新しい案を発見することも多いものです。ですが、そこに、若干まずい手法を用いてしまう場合を考えてみます。
私の場合の例で恐縮ですが、述べてみます。
現場にたまたま居合わせて、どう見てもミスってることがわかるときがあり、そのミスを指摘してしまったのでした。お分かりでしょうか。ミスしたときは、自分でわかるものです。私がかつて書いた通り、新人さんには、まず、ミスをしたら必ず報告することを教えています。
普段の通常業務の中でミスが発生する場合には、根本的な解決策が必要な場合もあります。ところが、新人さんにこのレベルで話をしてしまったため、私の発言を一般論と誤読、となってしまいました。これは、相手も私もハッピーではないです。
これは、まずい手法を用いてしまった例でした。
このケースでは、まず、相手の話を聞く必要がありました。もしかしたら焦っていたのかもしれないし、体調がすぐれなかったのかもしれません。なので、私からの話の伝え方にもうひと知恵必要な場面の出現、と、とらえておきます。特に、私がかつて新人だったころのことを考えてみたら、大げさすぎるとらえ方をされることもあるのだなという点も、頭の隅の置いておこうかな、と思いました。オールオーケーはあかんのですが…(^^;
企画を立てるとき
企画の運用
企画を立てるときには、実際の運用をどのように行っていくかという、実務レベルまで落とし込む必要があります。と、このように書くと非常に難しい言い方です。
もっと簡単に説明してみます。
「この案を使ってどうしたらいいの?」と聞かれたときに自分で判断できるようになること
これでもやはりまだ複雑ですね。
もっと簡単に説明してみます。
本質
というわけで。
この記事を書いたことで、
- 企画を立てるときには「こういうときこうする」まで考える。
という名案(迷案?)が生まれました。
まとめ
こうやって平凡なことを考えています。役に立つかどうかは、私の知るところではありません、念のため。きちんと失敗談を書いてあるほどです(笑)。
あとがき
以上です。
読了ありがとうございました。
それでは、次回をお楽しみに!