或る日、僕は

春休み:3月9日(Sat)~3月27日(Wed)

スケジュール管理について

予定を一覧できるように可視化してプリントアウトしてある。
その上で、欠勤や遅刻が発生するのはなぜか。
これは、一人称視点で見るか、二人称視点で見るかで明らかである。

予定のほとんどは仕事である。
私の価値観では、仕事とは労苦であり苦行であると見ている。
これはスペイン風である。
「仕事とは必要悪なのだから、職場環境が快適かどうかはさほど問題ではない」という考え方に基づいている。

で、いつの間にやら、仕事をすることが良いことだと考えている方も増えてきた。
もちろん、活躍できたり、対価をもらったり、努力を認められたり、など、良い面もある。

だが、現実にそこまで仕事に打ち込んでしまうと、仕事なしでは生きていけなくなってしまう。
うまく運んでいる間は良い。
なんらかの事情で仕事が出来なくなったとき。
打ち込みすぎて、燃え尽きる、バーンアウトしてしまうのである。

私自身が、元々はがんばりすぎて倒れたような人なので、仕事観はさまざまあるが、少なくとも仕事オンリーの暮らしにならないようにかなり気を配っている。
仕事をすることが悪いことだといっているのではない。
ただ、仕事を美化しすぎて、のめり込み過ぎると、若干「違うんじゃないの?」と思ってしまったりもするのである。

よって、「たまには遊びたいなぁ」と思うのも、至極自然な流れだと思うのであった。
無理無理なスケジュールを組んであるから、遅刻や欠勤が発生する。
つまり、忙し過ぎるのも、善し悪しだということである。

ちなみに、私個人の仕事観なので、これが決定打といえないことも明らかである。
予定を一覧できるようにプリントアウトして可視化してある。
この手法は私流で、一見して真似しやすいようにも思える。

働きながらスケジュール管理をこなすときに、減点法で見るのはあまりお勧めしない。
一人称視点から見て、「これだけできた!」を考えたほうが実り多い。

一日一日の歩みはわずかであり、着実に一歩ずつ前へ進むには、目の前にあるなんだか楽しそうな仕事に取り組もうとすることが大事だと思うのであった。
仕事そのものを楽しくするには、自分も仕事に参加していることを自覚するのが最も手っ取り早い。
責任を感じすぎるのも考え物だが、まったくの無責任も困る。

こういった両論併記の中で、ほどほどのちょうど良いあたりを指す言葉が、論語にある。
「中庸*1」という。

*1:ちゅうよう

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