或る日、僕は

或る日、僕はコーヒーを飲んでいるかもしれない。Since 2014.

寄り添うこと

こんなに気持ちが温かくなっている。
私の幸せを喜んでくれる人が居ることに、静かな安らぎを感じた。

最近の私は、少しだけ、疲れていたのだろう。
冷たい雨の中で、ひとりぼっちになってしまっていたのかもしれない。

でも、私が居ること、私が元気で居ることを、喜んでくれる人が居る。
今という瞬間に、たとえば、冷たさを感じることに、
安らぎを覚えていること。

そばにいること。うどんにいること。
それは、出汁であり、昆布だったり、鰹だったり。

私が居ることが、そんなにも、誰かの喜びであるならば、
そこにあるはずの目には見えないものに、
心寄せて、気持ちを寄り添ってくれるだけでも、
私は、幸せを感じられるようになったのかもしれない。

温かい気持ち。私が忘れていたもの。
それは。

「あなたは誰のサポーターですか?」

そう、答えは既に知っていたけど、目に見えていなかっただけなのだった。

私は、私を、理解した。

そして。

自然の摂理という過酷な現実を、生き抜いてみたい。
どこまで生きられるかはわからないが、
命ある限り、なにかできることがある。

それが、成就するかは、わからない。
立ち止まって初めて、見える景色があったのだと。

私は、あまりにも、自分を責めすぎていた。

ひとまずは、コーヒーでも飲みながら、
今日感じた温かい気持ちに、
感謝したい。

きっと私は、また、人を愛することに、
とまどい、恐れ、迷っているのだと思う。

私は、恋愛に、潔癖を求めていた。
それは、あまりにも無理なことだった。

このことに改めて気が付き、
私の行動に枷をはめていたのは、
私自身であったことに気が付いた。

だから、例えば、「愛とは何か?」という命題について、
私はたぶん今だったらこう答えるはずである。

「私は、愛とは許すことだと思う。」

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