或る日、僕は

「ほぅ…お客さんか、珍しいな。ここはダンジョンだ。わたしはここでコーヒー飲んでるから、ゆっくり見て行ってくれ。幸運を祈る。」Since 2014.

或る喫煙者の戯言

ちは、淡です。本日は汗ばむほどの陽気、五月晴れ。

ミーティング。長かった休業期間。なんとか乗り切った感じです。いやはや、まだ油断はできないのではあるんですけども。
「ピンチの後にチャンスあり」なので、あとひと踏ん張り。
ふだんからリスクヘッジしておいたのでなんとか乗り切れたんですが、ずいぶん苦しい台所事情となっております。

ところで。
世相が一変してしまったので、ちょっと言い出しにくかったことを書いておきます。あくまで一個人の見解なので、一般論ではありません。
もう一度書きます。「一般論ではない」ことを書きます。

歴史の評価

正直に話す、ということが、どれほどむつかしいことなのか、思いをはせてみてください。
真相を明らかにすることとは、いったい何なのか。
こうであってほしいこととは、理想。
理想を求めるのは、要は、わがままを認めることと同義である。
正直に話してみたことが、ありますか。とてもむつかしく、勇気のいることです。

結果論の是非

深刻な問題を、深刻に考えた場合では、結果どうなるかは明らかです。
想像していなかったこととは、「結果がどうなるか、まったく想像していなかった」
あとから反省しても、遅い。

深刻な問題に、どう対処するのか。
報道で触れられない現実。
なぜか。

たぶん、言いたいことを言いたいだけ話したかったら、こういった隠喩を用いることになるんですが…。

筆者

たとえば、筆者はたばこを吸うひとなんですけど、これは明らかにもういろいろわかりやすい。
それでいて、酒を全く飲まないひとなんですけど、こちらは案外わかりにくい。

つまり、人間の評価ってのは、ある一面だけ見てもわからないし、むしろ多分に嗜好の異なることを一般論で論じようとする手法ではよりわからなくなるだけだろうと思います。

だから。

筆者は、
「ちょっと共感できないし、だいぶわたしと違うから、関わりたくないんだけど」
っていう人格です。

まあ筆者が人間であることが前提なんですけど。ロボットじゃないんで。
最近は、嘆き悲しむ出来事が多いですね。正直、辛いです。

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