てるのあるでんて

さっぱりうれません。熟れない果実です。

最近は雑談が少なくなってる気がしてます

 んー。雑談っつーと、無駄話のように思われる向きもありそうですけど、雑談が全くないとなるとこれまたぎすぎすした会話になることもまた然り。

 とは言ったものの。特に意味もない話をしようと意気込むのも少し違うなぁ。

 例えば、こういった雑談を得意とする男性ってのはあんまり聞いたことがないです。たまたまわたしの場合では、雑談というか、むしろまったく意味のないおしゃべりをしないことには日々耐えがたい苦痛を味わうことになるため、そういう意味では珍しい男性なのかもしれません。

 例えば、男同士の会話であったとしても、単なる情報交換で終わってしまう会話っつーのは、まあなんとももったいない感じです。わざわざ時間を作って話をするんだったら、意義のある時間にしたいという気持ちはわからなくもないですが、そんなに深まらない話、世間話に終始する会話ってのも、これ結構なめてる男性多いんじゃないかなって勝手に思ってるんですが、無駄話を1時間も2時間もそんなに話題引っ張ってこれるかどうか、ちょっと試してみたら明らかです。よっぽど気の合う話し相手でないと難しいと思われます。

 さて。前置きはこのくらいにして本題に入っていきます。

 会話を楽しむ、という気持ちの余裕を持っている方は、いま少しずつですけど、わたしの気持ちの持って行きどころを持ってってください。本を読む時間。読書にあてる時間を再び作っています。本を図書館で貸出してもらってきているんですね。むろん、自分で赴いて自分で選びます。そして、本を読む時間を作れるかどうか自問自答してみたんですが、まあ、時間は作るものだ、と、自分なりに考えてみました。

 雑談力、というと、なんだか本のタイトルっぽくなってしまうんですが、まあ、いまの環境、仕事や家庭、近所のこととかほか複合現実社会の出来事などとかをほっぽって、どーでもいい話をするためには、とかくいま、雑談を気軽にできる方というのがものすんごく稀有な存在になってるのもまた現状なんですね。雑談相手を求めてるんだけど、とにかくいまの暮らしのことで精いっぱいなんだなって思っちゃってついつい遠慮どころか、むしろそういった雑談なんかしてる場合じゃあないとか、雑談をするためには医学的根拠のない話とかしちゃあいかんとか、なんだか、閉塞感ですよ。

 こんなときに限って、トイレに行きたくなってくるんですが、お手洗い、掃除してますか。大事ですよ。

 オチのない話をすると怒られた関西時代を思い返しつつ、話しながらオチを考える習慣がずいぶん減っちゃったなぁと、最近の我が身を鑑みて、神経すり減ってるなぁとふと思うのでありました…。そりゃお肌の潤いもピンチですよ。だって、ぎすぎすし過ぎてるもん。きれいなバラには、トゲがあるどころの話ではないですのよ。
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