てるのあるでんて

さっぱりうれません。熟れない果実です。

書き始めたら書き上げる。

 こんにちは!てるです。激動の2020年も、12月となりました。今年の締めくくりにはまだ少し日にちがあり、もうほんと精神状態いっぱいいっぱいな日々を送っております。超絶忙しすぎてたまらんっス。もう頭の中が大渋滞していて、どこへ向かっていくのだろうかよくわからない、インターチェンジはどこなんだ、サービスエリアはないんか、超高速ウソつき通信でお届けしております。

 このように、もはや意味不明なことを書きながら、全然煮詰まってないというか、玉ねぎの炒め方について書いてみてもいいんじゃないんかなって思うんですが、簡潔に申します。

 ブログが完結できない件について。

ブログの良いところ

 改めまして、てるです。ブログの良いところをちょっと久しぶりに書いてみたくなったのですの。

 それは、「どんな話題をどれだけ書いても良いこと」です。

 わたしが書いているブログに限って申しますと、もちろん読んでもらいたいがために書いているということはありますが、わたしが話したい話題をどこまでもどこまでも延々と書き続けることができるというとにかく長い話を、ここまでじっくりと煮詰めていく、それも、煮詰まっても焦がさないようにうまいこと料理する、という思考の元気回復法になってるんですね。

 出来上がった料理、つまりブログ記事を、自分でも何度も何度も推敲して読んでみて、じっくりとわたしの書いたことを味わう時間。この味わいは、まるで、とりあえずボックスに書類を投げ込んであとで整理しよう、の、「あとで整理しよう」をしかたなく片付けている時間とは一味違います。なんせ、とにもかくにも一生懸命考えて書いたことが、「あとで整理しよう」みたいに熟成されてくるまでの時間、つまり、何年も寝かせておいたワインの味わいにも似ている、この味わいは、もう煮込み料理です。

 わかりづらい例えになってしまったかもしれません。けれどもまあ、このような例え話で、ブログの良いところを表現してみました。なんだかわかったようなわからないような、ふわふわした感じですね。

ざらにある話

 ブログを始めてみてから、実に長いこと続けてくると、少し欲が出てくることがあります。ざらにある話です。いろんな話を読んでみたい。こんなに面白い話があるのだろうか。少なくとも、考えるだけならどこまでも自由です。というよりも、考えることができることは、とても自由なことなのだと。この点は、とても大切なことなので、一度しか書きません。

 そういうときにはどうするか。

 同じように文章を書いているかた、つまり、ブログを書いているかたのブログを読んでみるとよいと思います。とても発見があると思います。煮詰めすぎていた話、煮詰まりすぎていた話など、いくつか気付くこともあります。だからよいのです。

 ああ、こんなにわたしは追い詰められていたんだなぁって気が付いたときや、こんなにも根を詰めすぎていたんだなぁとか、ほどほどの辺り、このあたりでまあいいかってところが、ハードルを自分自身で上げすぎていたときとか、気が付くことがありました。

 だから、たぶん、ブレない軸というか、やはり、自分のもともとの気質、言い換えれば、人間味っていうところに行きつくのではないのかなって思います。それは、とっても本当のことなので、ごまかさないで向かい合うのは、とても難しく、とても危険を伴う作業です。だから、そんなにも煮詰まっている自分、追い詰められている自分に気が付いた時には。

 そこまで、追い詰められているのは、いったいなんでなんだろうかって、ふと、画面を見るのをやめて、まわりの風景を見てみるという技法があります。少し落ち着きを取り戻せるかもしれないし、もしかしたら、ほかになにかしないといけないことを思い出すかもしれません。そういえば、最近、アイスコーヒーを飲むにはちょっと気温が下がってきてるなってことに気が付いたりするのかもしれない(笑)。

うまく書けているかを考えるのは後でいい

 改めまして、てるです。

 たぶん、伝わるように書こうと思っているんですけど、伝えたい相手というのは誰なのか、そういうときにはどうするか、とか、たぶん、仮定の話を書いているんですけど、こういう話を読みたくなるかどうかは、また別の話です。

 なにか伝えたいことがあるから書いているのか問われたら、たぶん、わたしはこう答えます。

「わからないことは、わからない」
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