ところで、自己肯定感っていうものがある。自分はこれで良いのだ、という感覚のこと。
それと、自己効力感っていうものもある。自分のとりくみ方が通用している、という感覚のこと。
この2つの感覚は、なんだかたいへんだぞっていうときに役に立つ。
特に、自分と向き合う時間を作るときにも役に立つ。
自分と向き合う時間は、それなりになんだかたいへんなことであり、また、落とし穴も多い。
話を進める。
こういう言葉がある。
『精神療法とは遊びである。遊びのない精神療法は本質を欠いている』
遊びを楽しいと感じられないほどに、苦痛を感じるほどにのめり込んでしまっては本末転倒ではあるが、少なくとも、精神科にかかるほどに生真面目で努力家だと自負してやまなかったかつてのわたしは、遊びを楽しいと感じられなくなってしまっていた。そもそも、「楽しいって何?」と、今でも思ったりして、愕然とすることも度々だ。
話を戻す。
そこで、自己肯定感と自己効力感を持つことは、わたしにとってはそれなりになんだかたいへんなときを乗り切る、転ばぬ先の杖なのである。最近はすこし落ちてたかもな。社会的に良い意味合いの出来事であっても、逆の作用があることもあったりする。
いまのところ、わたしはちょいと苦しいときもあるにはあるが、なんとかなっている。つぎはぎだらけだけど。今日は少しくたびれた。この話が読み手にうまく伝わったかどうかは、あまり自信はないが、また日を改めて別の話をしたくなった時には、また書いてみようと思った。